ねえねの母校は、渋谷区立 原宿外苑中学という。
略してHG
っていうか、校章がすでにHGマークなのだ。
昨年、もっともHGがブレークしていた頃、生徒の誰かがハガキをだしたのだろうか、
HGから(?)番組で取材させて欲しいと、校長先生に連絡が入った。
その当時、まあ、○▲×@*△が#%○◇¥×で×××××だったりしたこともあり、
厳格な校長先生は、当然のようにお断りになった。
あとで、校長先生は生徒に、「HGって何?」と聞いたらしいが、
・・・・・知らずに断ったんですか?!先生!
さてその母校で、この夏グラウンドの土を全部入れ替える、大掛かりな作業が行われている。
大型ショベルカーでゴンゴン掘っていると、なんと!!
防空壕が発掘されたのだそうだ!
学校の入り口に、その写真と、
中から出てきた茶碗や湯のみ、ポケットウイスキーのビンなど数点が展示されているらしい。
かなりちょびっとなので、普段通っている人も気がつかない程度みたいだけど。
残念ながら、現物は工事車両の邪魔になるので、見ることはできないようだが、
この辺りが、東京大空襲で焼け野原になった歴史を、垣間見ることができそうだ。
記憶 戦後60年 新聞記者が受け継ぐ戦争
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050522.html
今は華やかな、若者の街原宿・表参道が、当時どのような惨状だったかは
今では知る人も少ないだろう。
あのGAPの交差点から、少し上り坂になって明治神宮へ続く表参道。
空襲の日、体力のあるものだけがその坂を登りきり、生き延びたのだと言う。
あの原宿キディーランド前あたりは、子供を抱えて力尽きた母親が、熱風に一気に燃え上がったりしたそうだ。
そうして、長いことコンクリートに染み付いた、人間から出た脂のシミが消えなかったのだそうな。
来月末はハロウィーン。
今年も表参道をねり歩く仮装行列が行われるのかな?
外国のオバケのお祭り。
キディーランドの前で、その母と子はどんな風に見ているのかな?
10月3日 追記
「HGで防空壕発見!」について 続報
https://nor-madame.seesaa.net/article/200610article_2.html
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この記事へのコメント
アザミネーゼ
先日、今の西麻布出身の父とドライブしていて、甲州街道を走っていたら、父がボソッと言うのです。「5月15日の空襲の後、麻布から荻窪まで曾祖母をリヤカーに乗せて連れて行ったな」って。当時、焼け野原を5時間かかって荻窪にたどり着いたそうです。
多分、原宿あたりも、そのときの空襲で焼けたと思われます。父はあまり語りたがりませんが、亡くなった祖母はよく戦時中の話をしてくれました。もっとよく話を聞いておけばよかったと思っても、今はもう遅いですね。
人はだんだんにいなくなってしまうけれども、思わぬところから昔の記憶が出てくるものですね。
父を連れてHG中に見にいきたいなと、ちょっと思いました。
ノルウェーまだ~む
主人の父も、子供の頃横浜から都心まで歩いたそうです。
当時はろくに食べ物もなくて、体力もなかったでしょうに。今の子供のほうが、家でゲームばかりしていて、かえって歩けないんじゃないかしら。