アウシュビッツへの道☆絶滅収容所ビルケナウ

かつてポーランド王国だったころの首都クラコフから、列車で1時間半。
オシフィエンチムの静かな村にある、世界一有名な場所、アウシュビッツ
この第一収容所から、さらに3Kmほど離れたところあるブジェジンカ村にあるのが、収容所2号ビルケナウである。
映画「シンドラーのリスト」にも登場するこの収容所は、まさに「絶滅収容所」と呼ばれる場所だった。(写真はクリックで大きくなります)
最後の1枚だけ(池の写真の下)衝撃的な写真を載せています。ご注意ください。


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撮影に使われた、ビルケナウのSS中央衛兵所の監視塔 


アウシュビッツからビルケナウには連絡バスがある。
時間がないのでタクシーで移動。

「最初に塔の上に上って、全体を見渡しなさい。」タクシーの人に教えられた通りにまず塔に上って
・・・・・・・・・・・・・・絶句した。




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広い・・・・・途方もなく広い、広すぎるっ!!!

150万人の人が貨車に詰め込まれて、この「死の門」をくぐった。生きて戻ったのはそのうち1割。(左)
塔より右手を見る。当時のままの木造のバラックが並んでいるが、広すぎて端まで見えない。(右)
左手も同じようにバラックが並んでいる。





私の目が悪いだけじゃない。
広すぎてこの収容所の端は、遥かかなたで、到底見えないのだ。

これが体感するってこと。
今までアウシュビッツの博物館って、広島や長崎の原爆資料館みたいなところ?と思っていた私。

違う。

資料なのではない。
ある部分は復元されてはいるけど、ほとんどはそのまま、収容所が全くそのまま残されているという事だったのだ。
私の言う「体験しないと解らないこと」とは、この広さのことなのだ。

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「死の門」をくぐった貨物列車は、3本の引込み線を入っていく(監視塔の「死の門」から続く線路の、右側の広大な敷地に木造バラックが続き、左側の広大な敷地ににレンガ棟バラックが並んでいる)
線路に沿って歩く人たちが、あんなに小さい・・・・


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1週間も食料無しで詰め込まれて来た貨車をようやく降りると、待っていたのは収容所。
ここで家族と引き離され、男性と女・子供に分けて並ばされる。
次に軍医によって、仕分けが行われた。


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線路の左側には、レンガ棟が延々と続く (女性・子供用)

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トイレ専用バラック(左)
痩せすぎてトイレの穴に落ちる人がいたと聞いていたけど、とても落ちるような大きさの穴には感じなかった。
想像を絶する痩せ方だったということか。

レンガ棟の3段ベットには1段に8人。(右)
目が慣れるまで、中は真っ暗にかんじるほど暗かった。

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線路の右側は木造バラック (健康そうで働けると判断された男性用)
湿地帯に基礎工事無しに建てられたので、床は土泥がむき出し。

各棟には囚人頭がいて(主にドイツ人囚人)厳しく管理された。
リンゴを拾う、仕事中に排泄する、仕事の能率が悪いというだけで虐待が加えられ、懲罰房に入れられた。
懲罰では食事が減らされ、重労働を課せられた。




バラックは、あまりにも整然と並んでいた。

収容所のバラックというと、なんとなく雑然としたイメージを持っていたけど、全く違う。
神経質なまでにキチンとまっすぐ、整然と、そして果てしなく続いているバラックの列を想像してほしい。(300棟あった)
1つのバラックに1000人ほどが収容され、11時間労働の前後に点呼が行われる。(1人でも脱走など欠落者がいると何時間でも立たされた。最長19時間)
この機械的に整然とした様が、なんとも空恐ろしい。
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木造バラックのベッド、中央に暖房用煙突が奥まで続いている
薄い縞模様のパジャマ一枚でさぞ寒かったろうと思っていたので、暖房設備があって、ちょっとだけ安心した。



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煙突だけが残っている、SSによって破壊されたバラックがいくつも並ぶ(中)
縞模様のパジャマの少年たち(右・解放後の写真)
働き手となる14歳以上の子供と生体実験用の子供以外は、まっすぐガス室へ送られた。



金髪碧眼の子供は、ゲルマン化としてドイツ語を習わせてドイツ人として教育されたので助かった。

それ以外の女性と子供は、一人170マルクで、ドイツの製薬会社が購入。(解剖練習用の遺体も)
チフスや結核を発症させて、試薬実験などを行っていた。
150人の女性を注文したが、弱ってしまったので、再度発注したという記録があるらしい。
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なんて酷いドイツ人!!と思いがちだが、日本も満州で行っていた人体実験の結果を、アメリカが戦犯に問わないという約束でデータを入手し、その試薬結果を元に今の薬や医療が格段に進歩したという事実を心に留めておきたい。

このほか、ユダヤ人絶滅に向けての断種実験、不妊治療も行われていた。
実験が行われるまで、子供たち(特に双子)はお菓子などをもらえたので、「おじさん、おじさん」と慕っていたという。


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線路の終点 平和の像が置かれていた


終点の先で、流れ作業で効率的に受け入れが行われた。
登録・脱衣ホール→衣料品預託場(実際は没収)→散髪→シャワー→囚人服受け渡しもしくはガス室行き(約70%)
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きちんと整備された汚水処理場
実質5年間の収容所だったが、この立派な汚水処理場が、ドイツ人の几帳面さを垣間見るようで、また恐ろしくなった。
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透明写真.png
撤退するSS隊員によって、犯罪の跡を消すために爆破されたガス室跡(左)
収容所は林に囲まれている。(右)木々を揺らすほどの風が吹いていた。



第一収容所のアウシュビッツでも、広い大地に吹き抜ける風が強く、口の中が砂でジャリジャリになってしまった。
寒い・・・・・・真冬はさぞ寒かったことだろう。
ビルケナウの方が、よく手入れされた芝生が広がっているので砂埃は立たないが、、ほとんどのバラックが破壊されているため、よほど風が吹き抜けても良さそうなのだけど・・・・・・・
風がない。
そういえば、暖かいと感じるほど風が凪いでいた。


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2000人が一度にガス室で殺され、1日に350人の死体が焼却され、その灰がこの池にまかれたり、肥料にされた。

アウシュビッツの展示には、入所の際に撮影された収容者の写真が沢山かけてある。
その入所日と没年数の間がほんの数ヶ月しかないものがほとんどだった。
「おまえたちに出口は1つしかない。焼却炉の煙突だ。」と言われて過ごした数ヶ月は、長かったのか短かったのか・・・・・・


焼却炉で作業が間に合わなくなると、林の向こうで野焼きをした。

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収容者が命がけで盗撮した野焼きの様子


このレポートでは、できるだけ多くの人に読んで欲しいので、見ていて辛い写真などは載せないつもりだった。
しかし、この写真に全てが凝縮されているように思ったので、見て欲しい。

システマチックに作られた収容所。
些細なことで懲罰を受ける状況、山積みの死体を昇降機で運搬する作業に、もう人間の心は無い。






アウシュビッツのチケット売り場の売店で、菓子パンをかじったあとは、飲まず食わずの1日。
口はジャリジャリ、足はよれよれ・・・・
この正しい見学方法で、子供たちに少しでも伝えることができたかな。


参考資料  「アウシュビッツ博物館案内」 中谷 剛 著(アウシュビッツを日本語で案内するために、オシフィエンチムに在住している)

この歴史を伝えるべくポーランドに住む中谷氏に感謝するとともに、アウシュビッツで命を落とした多くの人のご冥福をお祈りします。

この記事へのコメント

  • hino氏の義姉

    まだーむ様、貴重な旅行記をありがとうございます。

    人間の良心こそが価値あるべき物と単に重じていても生きられなかった時代背景がありますね。確かにドイツ人もある意味被害者だという風に受け取れます。今となっては、自由は無くバランスも悪かった社会の遺跡と感じられます。誰もが二度と同じ様な社会で生活したいとは思わないでしょうね。
    2010年11月22日 21:08
  • KLY

    私もお礼を言いたいです。ありがとう。
    日本人としてじゃない、人としてちゃんと永久に語り継いでいかなければいけない負の遺産はあるのだと強く思いました。何故人が人に対してここまで惨くなれるのか…。
    いや、人数が桁違いに多いこと、第二次世界大戦の出来事だからここまで大きく取り上げられているけれど、その後だって同じようなことは実は起きていることを私たちは知っているはず。人は人に対してここまで惨くなれるのだと、その上でそんなことをさせない、しないためにどうすれば良いのか。そこに世界中の一市民が想いを馳せないのであれば、ここで死んだ彼らが完全に無駄死にになってしまう。
    良い記事を本当にありがとう。
    2010年11月22日 22:34
  • mig

    まだーむ、お疲れさま。
    素晴らしいレポ!
    いつもながらちゃんと調べて書いてあって、おかげで解説とともに貴重な写真がみれたわ~
    最後の、載せてくれて感謝!

    「シンドラーのリスト」のモデルになった舞台、、、、そうか~、そんなに広いのね、、、、

    人を人と思ってない 
    今でも、私たちの知らないどこかで実験はくり返されてるんだよね。
    質素な食事だけでくたびれながら見学した
    まだーむ一家、偉い。
    2010年11月22日 23:33
  • ノルウェーまだ~む

    hino氏の義姉さん、こんにちは☆
    今回、レポを書くにあたって、いろいろと調べてみると、簡単に「ユダヤ人を虐めた酷いドイツ人」という事で片付けてはいけないと感じました。
    当時は個人個人ではどうにもならない大きな力が働いていたとしても、今現在なら、高い意識を持って各自が平和に向けてなすべきことを考えていけるのではと思いました。
    是非hinoちゃんも一緒に行って体験してみてください。
    2010年11月23日 00:23
  • ノルウェーまだ~む

    KLYさん、こちらこそです。
    読んでくださる皆さんがいると思えばこそのレポでもありました。
    書いている間は、そのたびに胸も苦しかったですが、あまり私の感情ばかりも押し付けずに、ありのままの事実と本から得た知識をお伝えしようと頑張ってみました。
    普段なら終戦記念日のスペシャルドラマで「今年も」という印象になっていきている戦争というものを、こういう機会に改めて考えてみるのもいいかなと。
    北朝鮮の濃縮ウラン製造のニュースもありましたが、まだまだ考えなくてはいけないことありそうですね。
    2010年11月23日 00:35
  • ノルウェーまだ~む

    migちゃん、疲れたよぉう☆
    何度も記事をチェックし直して、日々戦っていたかんじ。
    でもいつもの記事より感心を持ってくれている人が沢山いるみたいで、頑張って書いた甲斐があったわ。
    さすがのりょうたも、菓子パンだけでヒーってなったけど、スニッカーズで乗り切ってくれました。
    2010年11月23日 00:41
  • xtc4241

    まだ~むさん、おはおうごさいます。
    (いま日本時間11月23日1:25頃て、超早朝です)

    む~ん、言葉を失ってしまいます。
    でも、それをのりこえてレポートしてくれたまだ~むさんに感謝します。
    言葉ではわからないことかもしれなけれど、それでもやっぱり、言葉と写真と映像で伝えるしかないのですよね。

    アウシュビッツを作ったドイツ人だけが悪いのではない。
    原爆を落としたアメリカ人だけが悪いのではない。
    南京虐殺をしたとされる日本人だけが悪いのではない。
    アウシュビッツで犠牲になったユダヤ人は、パレスチナで同じような差別と戦争を起している。

    正常なときは、だれもが、おかしいと思えるのに、自分が当事者になると「もう人間の心はない」。
    映画の「ハートロッカー」のように、それをたんたんとこなすようになってしまう。
    これは人間のひとつの負の側面のような気がします。

    だから、そうならないうちに歯止めをかけなくてはならないのだと思います。そう、常に自戒するものとして、映画の役割りは大きいし、今回の勇気あるレポートも同じ価値をもっていると思います。
    ありがとうございました。
    2010年11月23日 01:48
  • ノルウェーまだ~む

    xtc4241さん、早朝ってことはおはようですね☆
    私の場合1時は深夜ですぅ~
    戦争はなくならないのかと思うと、悲しくなりますが、勇気を持って意識を高めていくことは必要ですよね。
    まずは身の回りから。
    小さな差別、身近な虐待は、人間の負の部分です。
    自分が当事者となって「人間の心」を失うことがないように先ずはここから始めたいです。
    2010年11月23日 04:14
  • みすず

    まだ~むさん、レポ凄いです!ありがとう~m(_ _)m
    最後まで読んで泣けてきたよ!
    なんだろう、虚しいさとか哀しさとか悔しさとか・・・
    最後の写真観て良かったよ。もう人がする行動じゃないよね。
    こんな悲劇は二度と起きてはならないことだよね。
    (今また爆撃のニュースがあってなんでーって思うよ)
    恐ろしすぎて震えがくるよ。
    >自分が当事者となって「人間の心」を失うことがないように先ずはここから始めたいです。
    うん、わたしも始めたい。
    まだ~むさん、本当にありがとうございました。
    2010年11月24日 08:43
  • ノルウェーまだ~む

    みすずちゃんもありがとう~☆
    もしかしてタイムリーな話題だったのかしら?と思うようなニュースがあって悲しいけど、こうして歴史を振り返ることがだからこそ大事かもね。
    再度「ヒトラーの贋札」を見直してみたけど、より一層真実味があって涙が止まらなかったよぉ。
    2010年11月24日 16:16
  • q 泣いてる

    ごめん・・・コメントが下手で

    ほんと。この前の記事でも感じたけど
    私は幸せだと思ってる
    見て無いし~行った事も無いし~
    教科書でしか知らなーい
    というコトでは済ませれない事を
    知ることが出来たんだもの。

    人がいれば「勢力争い」が起きる
    勢力争いは「戦争」と化す
    戦争は「残虐」へと繋がる
    残虐は「人としての心を失くす」
    まともな人間が、どれほど簡単に
    狂気に走るか・・・
    小さな争いでは無い
    残虐という虐殺の意味が
    そのまま起きていたのだから
    過去は振り返って生きるものでは無い
    けれど
    このように振り返るのも大切だよ
    そして
    歴史は繰り返されるでは無く
    歴史は素晴しい過去であるように
    素敵な「過去」を作って行こうという
    「将来に繋がる今」を
    私達が生活していく事の1つだなぁ・・・
    うん。小さなことからが大切だよね

    我が身の小さき世界にも
    「虐待」があった
    末っ子ネコが虐待を受けていた事
    それだけで苦しい
    愚かだから人なのか
    人だから愚かなのか
    自分の周囲からだけでも良い
    「おバカでも良いから素敵」
    人としての心は失いたくないよ
    2010年11月24日 22:29
  • ノルウェーまだ~む

    qちゃん、泣いてくれたの、ありがとう。
    ちゃんとqちゃんはできてて偉いよ。
    虐待されてたネコたんを助けて、愛情いっぱいに育ててあげてる、そういう気持ちの1つ1つを大事にしたいよね。
    大きな戦争にたったひとりで立ち向かっていくのはムリでも、身近な「人としての心」を大切に想っていけば、きっといい世の中になっていくと思うもの。
    2010年11月24日 23:20
  • うーやん

    すばらしいレポートに息をつめて、読みました。

    私は「恐怖」とは知ることから始まる、と思っています。それを自分が受けるときと与えてしまった時を想像することが、抑制にもなるのではないかと。安易かもしれませんが。

    私が子供のころ、毎年夏になると戦争のことをしっかりと考える日が学校で設けられていました。(今もあるのでしょうか?)幼心にとても辛くて嫌な気分になったこともありました。「戦争は二度とあってはならない。そんなこと分かってるよ」本気でそう思っていました。けれど私がこうして大人になった今でも世界のどこかで戦争は繰り広げられている現実が、あのころ大人たちが必死で私たちに伝えようとしたことの真意を知ったと感じています。私もまた次の世代に伝えていかなければいけないと思っています。

    シンと胸が冷たくなる内容でした。これを真摯に記事にされたまだ~む様に心からお礼申し上げます。
    2010年11月26日 14:26
  • ノルウェーまだ~む

    うーやんさん、こちらこそです☆
    今の時代、こうしてネットで自分の好きな分野のことだけ見て過ごせるようになり、次第に嫌な事、醜いことから遠ざかっていくような気がしていたのです。
    わざわざ本を買って読むことが気が進まなくても、ブログにすることで多くの人の目に留まってもらえるといいなと思って頑張って書きました。
    なかなかの苦行でしたけど・・・
    自分の子供が、また次の誰かに伝えていこうと思ってくれたと信じてます。
    2010年11月26日 18:06
  • SGA屋伍一

    こんばんは。先日渋谷の某ギャラリーにお邪魔して、migさんとまだ~むさんの噂話などしてまいりました(笑) どうもすいません~ 
    さて、姿勢を正して。謹んでアウシュビッツレポートとともに読ませていただきました。重い・・・ それだけに読み応えのある内容でした。海外旅行といえば普通楽しそうな場所ばかり行くものですが、お子様の教育のためにこのような場所をあえて選ばれたまだ~むさんには頭が下がります

    わたしが最初にこのことを知ったのはアンネ・フランクの伝記だったかな。幼心にショックでございました。映画で思い出すのはやはり「シンドラーのリスト」と「ライフ・イズ・ビューティフル」。本当は実際にこの目で見ておいたほうがいいんでしょうね・・・ かなりこたえそうですが

    あ。それとは全く関係ないですけど、
    2010年12月07日 20:38
  • SGA屋伍一

    すいません、前のコメントの一文書き損じです・・・ せっかくの真摯な記事に大変申し訳ありません
    2010年12月07日 20:42
  • ノルウェーまだ~む

    伍一くん、忙しい中コメありがとう☆
    しかも、最後気になる一文を残し・・・(爆)

    楽しい旅行も、今年はいっぱいさせてもらったし、遺跡見学もお城見学も息子は飽きあきしているみたいだし、こんな社会化見学もいいかなと思って。
    少なくとも日本で行けるのにわざわざ○ィズニーランドなどに行くようなことはしたくないですから。
    以前オランダでアンネ・フランクの家も見てきましたよ。
    本で想像していたものと、やや違っていてビックリしました。子供の頃の想像力には限界がありますね。
    2010年12月07日 23:16

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