そして「アウシュビッツよ。」と言うと決まって「え゛ーーっ!?何で?」と驚かれる。
ヨーロッパにいる間に、子供たちにはきちんと見せておきたいと、ノルウェーにいる時から思っていた。
その訳は、強制収容所の入り口に書かれているジョージ・サンタヤナの言葉に凝縮されている。
『歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味わわざるをえない』
「働けば自由になる」と書かれたアウシュビッツ強制収容所の入り口
3番目のBの字が逆さまについているのが、収容者のせめてもの抵抗という説がある。(写真の上でクリックすると大きくなる)
当時、門のすぐ横で収容所の音楽隊が行進曲を演奏していた。
クラコフ中央駅からオシフィエンチム駅まで列車で1時間半。
駅から路線バスで10分。
地元のおばさんが、「アウシュビッツよ‼」と知らせてくれなかったら、なーんにも無いところで気がつかず通り過ぎるところだった💦直通バスもあるけど、日曜日は本数が少ないので要注意。
サービスセンターを抜けると28のレンガ造りの囚人棟のある「絶滅収容所」がある
まずはここで日本語の見取り図付きリーフレットを購入。
入館料は全て無料。
この広大な敷地の維持管理や修復・草刈などの資金を援助している国のうち、もっとも多くの援助をしているのはドイツ。
そのほか様々な一般ボランティアによって支えられている。
最初にドキュメンタリー映画の上映も見たかったけどパス。11月は夕方4時までしか開いてないので時間との戦いだ。
レンガの棟がはるか向こうまでずらりと並び、各棟の1階~2階各4部屋ずつくらいが展示スペースとなっている。
高圧電流の流れていた鉄条網
オシフィエンチムの小さな町にある「絶滅収容所」アウシュビッツ。1940年にポーランドを占領したドイツ軍が、ポーランド軍の兵舎を利用して造ったのが始まりだ。
ここには、ユダヤ人とともに、ポーランド人政治犯、ロマ(ジプシー)、共産主義者、反ナチス活動家、同性愛者、ユダヤ人を助けたポーランド一般市民の家族、強制退去させたポーランドの町や村の住人などが捕らえられて収容された。
縞模様の収容者の服
何日も食料無しに運ばれてきた収容者たちは、ここで裸にさせられ持参したものは全て没収された。
あとで返すということで名前を書かされているが、勿論本人の手には戻らない。


カバン、ブラシ、めがね、大人の靴、子供の靴、服、義足…などが、山のように積み上げられている。35軒の倉庫ブロックのうち、開放直前、証拠隠滅のためSSによって放火されずに残った6棟にあった没収品は、それでも何万個もあった。
レンガの棟の展示スペースは、1部屋がテニスコートくらいと想像して欲しい。その縦の長い部分にガラスの展示ケースがあり、端から端までいっぱいに、靴…という具合に積み上げてある。
この没収したものはどうしたかというと、ドイツ本国へ送られ利用されていたのだ。
義足の山(のほんの一部)
最も痛ましいのは、唯一写真撮影不可の大量の髪の毛。
バスケコートくらいの部屋の壁際の展示ケースに、山と積み上げてある。
ガス室に送られる前後に刈り取られた髪の毛は、ドイツ本国でマットレスや生地として製品となっていた。
見本の生地が置いてあったけど、これで造った物を着たり使ったりしていたのかと思うと・・・・
腕に職のある収容者は重宝され、仕事を得ることで生きながらえたが、ガス室へ送られる前の人の髪の毛を刈っていた床屋のところに、ある時自分の家族がやってきた。
彼は他の人に髪を刈らせるのがあまりに忍びなく、自分の手で髪を刈ってあげたのだという。

小さな靴とベビー服が痛ましい。
お人形の頭部は壊されていた。


家畜小屋のような3段ベットには、藁が敷いてあって、1段に4~5人が寝ていたそう。
1日の食事は朝コーヒーと呼ばれる薬草の絞り汁、昼はジャガイモとカブの水のようなスープ、夜は300グラムの黒パンとマーガリン。
1,700カロリー程度に計算されていたのは、収容者を生かすためではなく、生きている間は働かせるためのものだった。
右が人体実験を行っていた第10ブロック、左が臨時裁判を行う部屋と地下に懲罰房を忠実に復元している第11ブロック、正面は「死の壁」(上)
この間の広場で行われていた銃殺刑の様子を描いたもの(下)
この処刑をしていたドイツ兵が、精神を病んでしまうので、ガス室が考案された。
11ブロックでたった2時間の間に臨時裁判が行われ、210人のうち206人が死刑を宣告され、中央の扉からこの広場へ出て、「死の壁」の前で銃殺された。残る4人はアウシュビッツ収容が決定。1万人ほどが、ここで処刑されたのだという。



第10ブロックと11ブロックの間にだけ、処刑が見えないように高い塀が造られている。(左)
銃撃でレンガの壁が傷まないように木を組んで造られた「死の壁」があり、献花とロウソクがお供えしてあった。(中)
第11ブロックの地下にある90センチ四方の直立房。(右)
直立房は展示用に上部が開いているが、実際は天井まで壁があったと思われる。
足元の小さな扉から、中に4人も入らされ、先に死んだ仲間を抱えて立ったまま死を迎える懲罰牢だった。
地下には他にも、仲間の身代わりになって入れられたコルベ神父の餓死牢も。(献花とロウソク)
2週間ののち、注射を打たれて死亡した。
公開絞首刑のヒモを掛けるレール
クレマトリウム(ガス室)
近隣のポーランド人にうめき声が聞こえないように、近くで車のエンジンをかけていた。


殺虫剤として使われるチクロンB(サイクロン~などとCMでよく聞くやつ)25トンものチクロンBが発注されたということだ。


天井に穴がいくつかあり、ここからチクロンBが投入された。実際は見せかけのシャワーが付いていた。(左)
シャワータイムと称して一度に数百人がここへ入れられた。
昇降機で運ばれた遺体は、焼却炉で2~3人ずつ30分かけて焼かれたという。
整然と並んだ、レンガ造りの小奇麗な建物は、案外住みやすかったのでは?と第一印象で思ってしまった私を深く反省した。
そこには、あまりにも恐ろしい悪夢のような現実が、キチンと並んだ建物と対照的に起きていたのだ。
しかし、驚くのはまだ早かった。
アウシュビッツへの道☆絶滅収容所ビルケナウへ
この記事へのコメント
mig
この記事待ってたよ、お疲れさま!詳細まで分かり易い記事ありがとう。大変だったでしょうこれ。
うわ~、大量の髪の毛、、、は撮影NGなのね、よけいにリアルだわ。
>ドキュメンタリー映画の上映
みてみたかったね
やっぱり夕方に締めちゃうんだ。夜にみたらすごい怖そうだよね。
子供も即ガス室送り、「ストライプパジャマズ」とか「ライフイズビューティフル」いろいろな映画ででてくるアウシュビッツ。
ほんとうに痛ましいあとが残ってるのね、、、、
xtc4241
(いま日本時間11月17日11:35頃会社です)
朝読んでいた前のエントリーにコメントしようと思ったら、アウシュビッツ「強制収容所」の記事。
僕は一瞬、緊張感に包まれました。
「歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味わわざるをえない」
その言葉がズシンと響きますね。
過去の現実を直視できるだろうか?
過去のものとして、見ているのではないか?
人間の残虐性を、他人事としているのでは?
そんな自戒をもって、見させてもらいます。
次もあるんですよね。
勇気をもってレポートしてくれるまだ~むさんに感謝します。
ノルウェーまだ~む
すっごく忙しそうだね。更新も無いから、大変そうだなぁって。
現地では感じるだけで、詳細は「アウシュビッツ博物館」という本からなの。
合わせて見学すると、より一層その悲惨さが伝わってくるよ。
ノルウェーまだ~む
この博物館が、多くの寄付とボランティアだけで運営されている意義を考えると、日本からここまで行くのは無理としても、現代のこのブログという手段で、より多くの方に感じてもらえるようにするのが、行った者の使命かなと思いました。
『ドイツ人って、酷い!』と片付けていた自分がいたことを反省しました。
Miki
日本ではガス室送り、銃殺、重労働が良く知られているけれど、本当はもっと恐ろしい事をしていたんだよね。
戦争の悲惨さという一言では片付けられない重さ、人間の同じ人間に対する残虐さだけでなく、ヒトラーを誰も止めず行動を共にした事にも恐ろしさを感じます。
hino氏の義姉
q
私は幸せだと思う
行った事の無い「史実」の事は
あくまでも「書物」「文章」「史実」として教わったり机上では学んだけれど
今回。実際、行った人の感想や写真等で記事を読んで「
事実」を知った事が
大きな糧になると思ってる
国家をあげて推進した人種差別的な抑圧を負の遺産にしたというコトに、疑問を抱いていたけれどこれはもしかすると正しいことなのかもしれないな
広島の原爆ドームも負の遺産で、行った時に感じたのは「負の遺産」の真実だったもの
「人道に対する罪」
考えてしまうなぁ・・・
私のドイツの友人達に「はーい」って手を挙げる人がいないの。「どうして?」と聞いたら
ヒットラーに対する敬礼と同じスタイルだから、それはタブーなんだって聞いたよ
そして。過去のこの事実をドイツの人達は今も苦しむ事なんだって。
ポーランドのイレーナ・センドラ女史を思い出すなぁ
ノルウェーまだ~む
靴も髪の毛も、部屋の向こうの端までぎっしりと積み上げられていて、思わず息を呑んでしまったよね。
ヒトラーひとりを悪者にしがちだけど、そのヒトラーを民主的に選んだのは国民なのであり、独裁的な法律を採択したのも議会なのだということを理解しないといけないと思うわ。
ノルウェーまだ~む
本当にそうですよね。
アウシュビッツなんて、遠い昔の遠い国の出来事のように考えがちですけど、今まさに起きている「領土」の問題とか、差別や弱いものに対する虐待・集団心理の恐怖などは、他人事ではないように感じました。
ノルウェーまだ~む
ドイツの人たちはちゃんと苦しんで、この負の遺産を、きちんと残そうと努力しているの。
「原爆は正しかった」って広島の式典で言っちゃうアメリカ人とは違うよね。
そういうこと言っているから、今でも戦地に大切な命を送り込んだりするんだよ・・・と思っちゃうわ。
みすず
髪の毛で生地作るなんて・・・その生地がそういう物だって知ってて当時のドイツ人は使ってたのかなぁ・・・
戦争ってほんと恐ろしい・・・人を狂わすよね(>_<)
側に住んでいたポーランド人も車のエンジン音が響いてくるとガス室に送られたんだってわかるよね。その音を聞いてなくちゃいけないのも苦しいね。
ノルウェーまだ~む
人の狂気って、本当に恐ろしいよね。
今回はこの収容所を見て、整然とした中に潜む狂気を感じて、より一層恐ろしく感じたわ。
当時は国際批判を恐れて、ナチスは大量殺人の事実を収容者にも(暴動を防ぐため)、近隣住民にも、国際的にも隠していたから、多分ポーランド人たちは知らなかったと思うよ。
ただし、煙突の煙は人を焼いているという噂は立っていたらしいけど。
マリー
「絶滅収容所」という響きにすでに胸が痛いです。
読んでいたら、動悸がしてきたの。
でもまだ~むが心を痛めながら、この記事を書いてくれたんだから~と頑張って読みました。写真もしっかり見せていただきました。
苦しいよ。
本当に苦しい。声なき声が聞こえるの・・・
どうして?なぜ?こんな酷い目に・・・?
今まで映画も色々観たけど~実物が一番心を打ちます。
響いてきます。
何にも役に立たない子供?
今からどんなことも出来たのに・・・その未来を奪うなんて・・・。
忘れちゃダメだよね。絶対!
ノルウェーまだ~む
私も記事を書きながら(勿論見学しているときも)胸が苦しくなっていたわ。
でも、こうして多くの人が訪れてくれるように、沢山の人たちの手によって保存されてきたところだから、ちゃんと伝えていくようにしなくちゃ!って思っているの。
できたら子供たちにも読んでほしいな。
由香
少しご無沙汰でした~
行かれたんですね、アウシュビッツに・・・
私は勿論行ったことがありませんが、お友達が以前行ったんですよ。
それで話を色々聞いたのですが、その話を聞いているだけでも何とも言えない気持ちになりました。
お友達が一番ショックというか、ガツンときたのはやはり髪の毛だそうで、特に匂いにやられた・・・って言っていました。いつまでも鼻の中に匂いが残って辛かったそうです。
まだ~むの記事を拝読しながら、また何とも言えない気持ちになっています・・・
ノルウェーまだ~む
臭い・・・?もしかするとその方は、夏休みに行かれたのかもしれないですね。
私はこの季節で、どちらかというと寒い思いをしたので、あまり臭いは感じなかったですね。
そこだけ陽が入らないように薄暗く、締め切ってあったので、空気はこもった感じがしてたかなぁ。
hino
今日5日連続勤務を終えて、達成感でいっぱいです。
身体はヘロヘロ。もう気力で。。
遠藤周作の「海と毒薬」を思い出しました。
とても、とても、貴重なお写真とまだ~むの感想。
今夜はぐっすり寝てから(土曜、子供の弁当ありだからまた早起きなんだけど)
改めて明日コメントを入れさせて頂きたいと思います!!
ノルウェーまだ~む
そんなときは無理しなくていいのよ~~
お仕事も最初からとばすと、体が持たないからね。
休日はゆっくりして、まずは体力回復!そしてご家族のために時間を使って♪
体が慣れたらブログに遊びにきてね☆
yukarin
こうして画像を見てると何とも言えない気持ちになりますね。悲惨さがすごく伝わってきます。
縞模様の収容者の服は「縞模様のパジャマの少年」を思い出して切なくなります。
ひろちゃん
この記事にコメ書くの勇気いるなあ・・・
私は本当に小心者で、病気がらみや死がテーマの
作品は本当に観れなくて(T^T)
戦争ものも苦手ですが、目をそむけちゃいけない
とも思って、少しは観ていますが、映画の中の
出来事、フィクションではなくて、事実だと言うことが
本当に辛いです。。。
収容者の服を見て、最近観た『縞模様のパジャマの少年』(2度と観れない(T^T))を思い出しました。。。
また、こどもは真っ先にガス室へと読んで『ソフィーの選択』を思い出しました(T^T)
胸も締め付けられましたが、写真と記事で、涙が
出てきました(T^T)
やはり、辛いなあ。。。
でも、辛いからと言って、目をすむけてはいけないんですよね。。。
まだ~む、貴重な写真と記事をありがとう
ございました(T^T)
hino
気力体力、回復し、今週も頑張るよ~。
ここは是非とも行ってこの目で見たいところです。
家族で行きたい!!
まみっしとも行けるかなあ。
ストライプパジャマズボーイズを思い出す~。
お父さんの立場について。
一時期、ドイツの人体実験の本を読んだんだけど、
どのくらいで餓死するかとか、子供、大人を使っていろんな実験データをとっていた。
その時代背景で生きていったひとたちのこと、考えさせられるわ。
髪の毛の匂いはあった???
ノルウェーまだ~む
「縞模様のパジャマの少年」は次回登場するけど、子供の痛ましい姿は本当に辛いよね。
でもね・・・映画はちょっと違うんだ・・・
14歳以下の子供はいなかったんだって。何故かは・・・
ノルウェーまだ~む
こういうの、辛くて見れないって言ってたもんね。
日本は当然のように戦争をしてないけど、イギリスは現在進行形なため、テレビでもアフガンの報道が連日あって、情けなくなってしまうわ。
どうしたら、戦争をする国がなくなるのか、多くの人が考えてくれるようになるといいよね。
ノルウェーまだ~む
髪の毛の展示の部屋は、すこし空気がこもっていたけど、匂いは感じなかったなぁ。
きっと夏に行くと、結構かんじるかも。
人体実験は、日本も満州でやってたんだってね。
薬品会社が臨床実験をして出来上がった薬で、我々が治療できていることを、知っておくべきだよね。