ベルリンの旅☆壁の向こう側

1945年、ヒトラーが自殺してドイツが無条件降伏。米・英・仏の管理地域が西ベルリン、ソ連の管理地域が東ベルリンとなる。
以来、1989年に壁が崩壊するまで、東と西に別れてしまったベルリン。
冷戦時代の東ドイツの名残を残すところを中心に訪ねてみた。




壁の向こう側にあったのは、オスタルギー。
オスタルギーとは、ドイツ語でオスト(東)とノスタルギー(郷愁)の合成語のことだ。

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まずはブランデンブルグ門
高級店が軒を連ねる大通りウンターデン・リンデンのはじまり、パリザー広場にある
地下鉄S線 ウンターデン・リンデン駅 徒歩5分(一日乗り放題券を買うと電車にもバスにも乗れるyo)


門の向こう側では移動遊園地を設置しているところだった。
手前には観光客相手に写真を一緒に撮って小銭を稼ぐ、国境警備隊の扮装の人たちが何組かいた。
通行許可証を発行する人も(有料)

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ベルリンの壁に登る東西ベルリン市民(1989年11月10日)ウィキペディアより
ベルリンの壁崩壊のニュースで必ず登場するのがここブランデンブルグ門だ。





ブランデンブルグ門からずどーんと延びるウンターデン・リンデン通りを端まで行くと世界遺産にも指定された博物館島。(バスで移動するといい)
今回は美しい歴史的建造物も見たかったけど、パスしてその先にあるDDR博物館へ。
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見事なベルリン大聖堂(ベルリンの旅☆プロイセン王国を探して)の川を挟んだ向かい側にDDR博物館(左)東ドイツの生活の様子が展示されている。
20世紀少年!?昭和世代には何だか懐かしいようなデザイン(右)
約20年前までこんな生活だったのね☆


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ボディがプラスチックで出来ている東ドイツ製の車トラバント(左)
キッチン。ホウロウの鍋が可愛い☆
右端の鍋には銀色の棒状のものが突っ込まれていて、これでお湯を沸かしていたらしい。(右上)
レンタサイクルと、レンタカー店(右下)トラバントをレンタカーして市内を走れる!(チェックポイントチャーリー近くにある)



ウンターデン・リンデン通りを垂直に横切るフリードリヒ通りを下った所にあるのが壁の跡地と、チェックポイント・チャーリー。
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塀には壁を壊す人々や、当時の写真がパネルになっていた。地面のレンガの跡は壁が建っていた場所。
U6線 KOCH シュトラーゼ駅すぐ
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跡地のすぐ後ろがチェックポイント・チャーリー
写真の人はきっと、検問所を突破しようとして射殺された人なのね・・・・・と勝手に思っていたら、手前側(東側)がソ連の軍人さん、裏側(西側)にアメリカ兵の写真ということらしい。

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東西分断期に数多く設置された検問所のひとつ
ここは外国人および外交官、西側連合国軍の関係者が通過するための検問所だった。

東ドイツ政府はここを「国境検問所」と呼んだが、西側連合国は「チェックポイントC」と呼んでいた。
つまりAならアルファ、Bならブラボー、Cならチャーリーだった。

てっきりチャーリーという人がここにいたのかと思っていたしー



何しろベルリンの情報って意外と少なくて、あまり知らないことがいっぱい。
手探りの旅だっただけに、失敗もいっぱいだった・・・(汗)


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チェックポイント・チャーリーハウス
当時の様子が博物館で展示されている。赤い星の横にあるのが、本物の壁。
気球を使ったり、一人潜水艦を作ったり、足漕ぎの「鳥人コンテスト」みたいな乗り物で国境越えを図ったり、興味深い展示がいっぱい。

トンネルを掘って、まるで映画「大脱走」みたいなこともしていたらしい。

40年前~50年前のことを20年前までやってたのね!と驚くも、今の若者にとっては、どちらも同じように見えるはず。
命を懸けてまで脱出劇を繰り広げていた事が、今となっては同じ『過去』でしかない。
なんだか空しいよね・・・


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車のボンネットに人が入って脱出した(左)後ろにエンジンがあったそうだ 
ソ連時代を象徴する形のテレビ塔(右)はベルリンで一番高い建物。テレビ局もレストランも展望台もある!





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トポグラフィー・デス・テロルスの横に現存する壁(チェックポイントチャーリーから徒歩5分)上部は丸くなっていて、壁の上に立てないようになっていた。
引き裂かれた家族の元へ行くためなど、多くの人が西ベルリンへ逃れようと画策し、失敗に終わって命を落としたのだ。
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東ドイツ時代のアンペルマンのデザインの信号(後ろに壁が見える)
東側の信号は、全部このデザインでとってもキュート☆



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トポグラフィーに展示されていたパネル(ブランデンブルグ門前)最初は鉄条網、次第に壁になっていった・・・



お友達が開放される直前の東ベルリン時代に旅行をしたことがあると話してくれた。(22年前)
当時は東ベルリン内に宿泊どころか、数時間散歩することしか許されず、味のおかしなコーラを飲んで、壁伝いにぐるりと歩いて出てきたのだそうだ。

西側に停めて置いた車も、ひっくり返して調べられ、その間若い兵士たちが、銃を構えて見張っていたらしい。
ひえーっ!
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ホテルの近く ほんの少し残っている廃墟と空き地 向こうには真新しい斬新なビルが対照的に建っていた。



今は平和そのもの。
東の名残を残すものは、もうほとんど無いくらい、やけにきっちり碁盤の目に整備された真新しい街が広がっていた。
そのきっちりしたところが夕暮れの景色に印象的で、どことなく収容棟がきちんと整列したアウシュビッツを思い出してしまったのだった・・・・

この記事へのコメント

  • mig

    信号の写真、ナイス!可愛い~

    キッチンは今とあまり変わらない気もスルけど
    クラッシックカー、興味あるなぁ。
    え?街の中に軍人さんの写真こんな大きく掲げてるの?
    すごいね~!
    2011年05月25日 09:08
  • みすず

    まだ~むさん、こんにちはー♪

    ボディがプラスチック?安全じゃなさそう^^;
    ベルリンの壁を観ると、カップヌードルのCMを思い出すわぁ^^
    信号、可愛い♪日本もこれぐらい可愛いといいのにね^^
    大きく掲げている写真って有名な軍人さんなのかしらん^^
    まだ20年ちょい前ぐらいなんだねー><。
    命を懸けて越えようとしていた人たちの魂が安らかでありますように・・・
    2011年05月25日 14:57
  • ノルウェーまだ~む

    migちゃん、さっそく読んでくれたのね。
    キッチンとかホーローの鍋は、なかなかキュートだったよ。
    60年代ってかんじ。
    トラバントの車は、プラスチック製だから大人二人くらいで、少し持ち上げられるみたいよ。
    2011年05月25日 19:04
  • ノルウェーまだ~む

    みすずちゃん、こちらにもありがとう☆
    私もカップヌードルのCMの印象が強くて!
    プラスチック製の車は、現在電気自動車などで、軽い車が必要になって見直されているみたいよ。
    でも電力不足だと電気自動車も使えないね・・・
    2011年05月25日 19:07
  • SGA屋伍一

    まだ~むさん、こんにちは。『トゥルー・グリット』の感想探したけど書いてないのかな?

    壁が崩壊したのは1989年・・・ もうそんなに経つのか。わたしはそのころ中学三年生でした。考えてみれば今の若者たちはもう東西冷戦があったこととか、ドイツが真っ二つに分けられていたこととか、もう「歴史」でしか知らないんですよね・・・ ふうう。わたしも年をとったものだ・・・

    「チャーリー」がいっぱい出てきたのに笑いましたが、チャーリー・マフィンというさえないスパイが東西陣営を相手取って活躍する『消されかけた男』という小説があります。クライマックスは確かベルリンだったような・・・ とても面白かったのでまだ~むさんにお勧めしときます。
    2011年05月26日 16:28
  • ノルウェーまだ~む

    伍一くん、おはよう☆
    なぜか血なまぐさい緊張感溢れる歴史なのに、チェックポイントがチャーリーなだけで、ちょっとほのぼのしちゃうって、変な所だよね。
    「消されかけた男」面白そうね。いつか読んで見ます!!
    「トゥルー・グリット」書いたらTBしますね~
    2011年05月26日 17:08
  • KLY

    もう20年かぁ…。
    戦争を知らない世代としては、リアルに感じられた戦争の名残の最後がベルリンの壁だったように思います。
    日本も一歩間違ったらベルリンみたいになるかもしれなかったんだよね。殆ど紙一重な奇跡をすり抜けて今の日本があるんだなと。ベルリンをみるといつもそんなことを感じます。
    2011年05月26日 20:08
  • ノルウェーまだ~む

    KLYさん、こんにちは☆
    一歩間違えてベルリンみたいになっていたかもっていうのが、何だか恐ろしいですね。
    でも現在のベルリンを見ると、何もかも破壊されたあと、じーっと時代が最先端になるのを待っていて正解だったよって、言っているように思えるくらい、すばらしい街になってましたよ。
    2011年05月27日 01:18
  • yukarin

    こんばんは♪
    信号機なんか可愛い~。
    でもその上の壁の写真は何ともいえない気持ちになりますね。
    今は平和になりましたけどお友達が行かれた20年前の話はゾッとしてしまいますね。
    2011年05月27日 23:26
  • ノルウェーまだ~む

    yukarinさん、こんにちは☆
    そんなゾッとする話が、たかだか20年ちょっと前まで行われていたっていうのが、驚きだよね。
    今は平和そのものだけど、東側だったところが、飛躍的に発展するなかで、経済格差からくる差別や摩擦などもあるようで、思ったより活気ないかも?と思える景色が、余計に寂しく見えたベルリンでした。
    2011年05月28日 01:20
  • マリー

    壁一つで民族が分断されてるなんて・・・本当に恐ろしい。今でもそういう国もあることがまた。
    当時、ベルリンの壁が崩壊ってニュース、信じられない思いで聞いたことを思い出します。

    信号機は、ホントかわゆい~。
    2011年05月30日 19:24
  • ノルウェーまだ~む

    マリーさん、こんにちは☆
    たまたま西側に用事で出かけていた人が、あっという間に作られた壁で戻れなくなったり、家族がバラバラになったり、国の都合でそこに住む人々が酷い目似合うなんて、本当に可哀相だったよね。
    2011年05月30日 21:41
  • mezzotint

    まだ~むさん
    今晩は☆彡
    チェックポイント・チャーリーハウス、DDR博物館も
    行きました。でも写真撮ってません(笑)
    かなり記憶が薄れましたが、、、。まだ~むさんの記事を
    見て思いだしました。イーストサイドギャラリーは交通の
    便が悪いですよね。ツアーはある意味便利ですが、あんまり
    自由時間がありませんね。自力で行ければもっと楽しい
    のでしょうが。
    トラバントはプラスティクですか!なるほどそれなら雨も
    OKですね。
    アンぺルマン、好きです!グッズを購入しました。
    ボールペンと布製の手提げ袋です。
    また記事書こうかな。
    2011年05月31日 18:35
  • ノルウェーまだ~む

    mezzotintさん、こんにちは☆
    やっぱりツアーは無駄が無くていいですよ。
    今回は本当に駅名と地名とわからなくて、効率よく回る順序を考えるのに一苦労でした。
    普段使わない頭をすごい使ったので、頭痛したし。
    記事書いたら是非またTBしてくださいね。
    2011年05月31日 21:32

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