あまりの猛暑に会津が誇る珍しい赤瓦の鶴ヶ城を、よくこんなまっ平らな土地に建てたお城で戊辰戦争に耐えられたものだと遠巻に感心(笑)
飯盛山では両脇に土産物屋のある山道がものすごい急な階段でビックリ!今まであんなに平らだったのにぃ!?
元気のいい修学旅行生に追い抜かれても、250円も払うエスカレーターには乗らず頂上まで頑張ったyo
頂上には白虎隊十九士の墓と、彼らが煙を上げる城下町を見下ろして「遂に城が燃えてしまった…」と勘違いして自刃した場所に鶴ヶ城を手をかざして眺める姿の慰霊碑が建っている。
少し階段を下ってから横道にそれると小さな神社には白虎隊十九士の霊像が祀られている。鈴の向こうに自刃の様子が描かれた絵が掲げられていた。若々しい青年たちの姿が明るい色合いのタッチで描かれ、逆に痛々しい。
その隣にバクの背中に柱を立てた供養車があり、上の方の鉄の丸い部分を回すと不気味にキィィィィ~~と音がする。
これは十九士が苦しんでいる声で、「良い夢」を食べるバクの頭を踏みつけることで冥土の魂を供養するのだとか・・・逆に苦しそうだわっ!!
階段を下って行くと立派な御神木。

実はこの穴は遠く猪苗代湖から1623年に開墾の為引かれた用水路(31Km)だそう。それで豊かできれいな水がこの土地に流れているのne!
そしてこの洞穴は戊辰戦争の折、白虎隊の20名が潜ってここまで逃れてきた出口なのだとか。
20名のうち十九士が自刃、生き残った飯沼貞吉は勉学に励み後に通信技師となり、日本の電信電話を発展させたのだそう。
助かった若き命が後にこうして日本の発展に役立つことを考えると、いかに戦争が愚かなものか…と改めて考えさせられたのだった。
この記事へのコメント
隆
義とかに殉じた君子のようなイメージがありますが、殉じる腹のすわり方とか、血気盛んな少年達だったと思います。戦争に翻弄されたのでしょう。藩の大人達が最前線で戦っていて、少年達もその務めを果たしたというべきでしょうね。会津藩の名誉を大人も子供達も守った一方で、彼らのような賊軍とされる人々こそが、軍国日本でも、少数者として正常なバランス感覚を保ったと思います。
時代劇的には、何となく、会津の抵抗というのは、雪が舞う切ない情景が浮かびますね。
zooey
飯沼貞吉はまだ15歳くらいだったのですよね。
喉に刀を突き刺したけれど死に切れず、助けられた後も何度か自殺を考えたとか。
現代のゲームや受験に振り回されている15歳を考えるとねえ…
ノルウェーまだ~む
>
大人の都合で前途ある若者の命が散って行くのは、どの時代の戦争でも同じことですね。
当時はこれが正しき務めと信じて自刃に至ったのですから尚更です。
無念の叫びの声がまだ耳に残っておりますyo
ノルウェーまだ~む
>
今の若者たちでは、このようにお国の為に命を自ら断つ!なんて考えもしないでしょうから、今後同じような事は決して起きないでしょうけど、平和の中で『自分の事しか考えていない』若者が増えるのも、どうなのかなぁ?って思っちゃいますね☆