場所は松山市駅から徒歩4分の正宗寺の敷地内にある。当時文学仲間であった住職が二人を記念して残したものだそう。
正面のお寺の左隣に「子規堂」
右側にある事務所で入場券を購入するのを忘れずに。
なんと!破格の50円!
子規堂より先に目に飛び込んでくるのは『子規と野球の碑』と坊っちゃん列車。
松山では『「坊っちゃん」を書いた人夏目漱石』と何にでも書くけど、日本の国語教育舐めてる?
中には貴重な写真や資料も展示されていていきなりテンションMax
漱石が松山中学(現在の松山高校)に赴任する時に乗ったのが小説「坊っちゃん」の中で「マッチ箱のような」と表現しているこの列車。
ちなみに子規はその松山中学出身で、パパンの大先輩にあたるのだ。
漱石像の目の先に『子規堂』
「ようおいでたなもし」と書かれた言葉が温かい🌟
マスクをした子規像の横に『俳都松山 俳句ポスト』があった。
Wi-Fiもなくてあんなに暇だったのだから俳句の一つも作れば良かったwa
中には子規と漱石にまつわる様々な展示物がいっぱい。
実はこの子規堂は2度も焼失していて、昭和21年に間取りを完全に復元したものが再建されたのだそう。
玄関脇の三畳の勉強部屋
レプリカではあるけれど、病床で描いていた野菜の絵。食いしん坊だけに?
亡くなったときに寝ていた布団の生地
子規が最後に帰省した時、漱石が下宿していた『愚陀仏庵』に50日も滞在していたという仲良しエピソードも。
次々とタクシーで乗り付けた観光客がサクッと見て帰って行くのに延々舐めるように見てて案の定この日の予定はこれでおわり。
子規堂を出て墓地へ回ると子規の遺髪墓には、9月19日の命日に供えられたヘチマがまだ青々としていた。
遺髪⁉️って驚いたら、あれは短髪なだけ!ってねえねに怒られた(笑
すぐ横に高浜虚子の筆塚。
ひっそりと静か。
せっかく素敵な椅子とテーブルがあるのだから、坊っちゃん団子かアイスでも売ったら良いのに…そこがまた奥ゆかしくて良いのだけどね🌟
この記事へのコメント
瞳
少し落ち着かれて観光や食事に(↓の天ぷらも美味しそう~)出かけられたんですね!!ずっとお掃除に頑張ってらしたから、ご褒美ですよね。リフレッシュされたかな?
坊ちゃん列車と子規堂、松山旅行に時に訪れました。懐かしいです♡
お嬢さんは文学好きなんですね♡素敵~♪
丁寧に見て回られたのね。このあともどこか行かれたのかしら?
また松山に行きたくなりました(*^-^*)
ノルウェーまだ~む
>瞳さん
>
ありがとうございます。そして松山へようおいでたなもし‼️
子規堂小さいけど堪能出来ました。普通の観光旅行なら、サクッと見回して直ぐ次のロケーションってところですけど、何しろ時間がたっぷりあるのでね🎵
それにしてもちょっと出掛けるだけでも本当に人間ってリフレッシュするもんなのですね✨
夫は映画でも行っておいでと言ってくれてはいるのですけど、やっぱり皆で行くのが楽しいし、私、松山のことよく知らないから〰️(笑)
セレンディピティ
1か月のお掃除もようやく少し落ち着かれたところでしょうか。
お食事やおでかけもできるようになって、よかったですね。
一時期「坂の上の雲」に傾倒していたので
正岡子規の人生を追いかけていたことがありました。
(そこから派生して、夏目漱石や高浜虚子も)
松山を訪れた時、子規堂は行かなかったのですが
根岸の子規庵は訪れたことがあります。
お家の佇まいなど、どことなく雰囲気が近いものを感じます。
https://blog.goo.ne.jp/serendpt3/e/71d30822b4eeee392c1e022810364fe4
東京には、子規を記念した野球場が上野にありますね。
松山、久しぶりにまた訪れてみたくなりました☆
SGA屋伍一
正岡子規、病気と闘い続けた人ですが、そういう暗さが感じられないのがある意味すごい方ですね
ノルウェーまだ~む
>
坂の上の雲から子規〰️漱石まで!
当時の文壇の人たちの繋がりを知れば知るほど興味が深くなっていきますよね。
実はまだ私は「坂の上の雲ミュージアム」に行けてないのですけど、特に子規の人生には魅力が沢山詰まってると感じます。
娘は根岸の子規庵で俳句の集まりなどしたことがあるようです。
是非とも松山再訪してくださいまし。
次の機会までにはもっと松山を深く勉強しておきますね🎵
ノルウェーまだ~む
>
もうそんなになりますか〰️ヤバいっすね(笑
確かに正岡子規のそういうところに魅力を感じるのかもしれませんね。
病床においてもユーモアを忘れず、ご飯三杯とかモリモリ食べて逝く。
なんかかっこいいです。