「みっちゃん、四十九日の法要はみんまより後にはせられんわい。」
は?み…みんまって?
「巳午(みんま)」とは
12月の最初の巳の日に親戚が集まって行う瀬戸内地方に伝わる風習で、この一年に亡くなった新仏さんのお正月。
なのでこの日作る供膳はおせち料理。汁物はお雑煮にして、注文しておいた飾り餅が届いたら、一緒に付いてくる小指程の小さなお餅をお雑煮に投入する。
この日も親戚が集まり、四十九日同様に仕出し弁当と引き出物(お年玉と書かれたお包みを頂戴するので)を準備するのだけど、正直1週間前に同じことしてるのに…と思う私。
とは言え、法事と同じように仏壇ではなく祭壇を作らないといけないので、その手間が省けて良かったのかな?
葬儀屋さんのみんまの手引きによると
準備するのはBセット。Aだと自分でお餅をつかないといけなくなる…(滝汗
祭壇にはお正月の重ね餅としめ縄飾り・ワラジと杖が飾られ、おせち料理の供膳をお供えする。
皆でチンしたらぞろぞろとお墓へ移動。
持ち物は、お墓用しめ縄飾り・杖とワラジ・しきみ・お供え餅の小さい方、それと包丁にお線香。お墓へ持って行く餅は朝つきたてが届くけど、やっぱり固いので、レンジでチンしておく。これが大騒ぎ(笑
ほどほどだと寒くて固いし、チンしすぎたらお皿から剥がれないし…なんとかもち粉をまぶして持ってきた。
なぜチンして持ってくるかと言うと、お墓へ飾ったしめ縄を焼いてそれでお餅を炙ったのち、一列に並んで肩越しに餅をちぎって食べるので、固いと千切れないからなのだ。
肩越し?
この時、突き刺した包丁まま後ろへ渡していき、それを最後の人は全部食べきらないといけない。コロナ禍に?
杖とワラジはお墓の後ろの卒塔婆のところに差しておく。
この一連のユニークな風習を、私は家で仕出し弁当が届くのを待っていたので、直接体験出来なかったのは残念。
お餅は案外美味しかったらしい(笑
由来としては戦国時代、高縄半島を中心に活躍していた武士が、出陣の際生きて帰れないと一足早くお正月を祝ったとされる説と
秀吉の朝鮮出兵の帰路に、今の松山市高浜の海岸で討死した侍を弔う為に餅をついて刀に差して焼いて食べたさとされる説があるそうな。
そんな何故か愛媛だけにあって、しかも地域で色々違うググっても情報が何も出てこない謎の風習、きちんとやるのも私たちが最後の世代なのかも…
この記事へのコメント
瞳
謎の行事「みんま」!いよいよですね~!(^^)!
新仏さんのお正月!そういうことだったんですね。お餅、レンジ加減の難しさ、よく分かりますよ~。
そして肩越しに!?なんと不思議でユニークな行事でしょう!!最後の人は食べきらないといけないんですね。
こういう行事はネットとかではなくて、まさに地に着いた人から人へと受け継がれていく行事なんでしょうね。
まだ~むさんの御霊供養日記、パパンさんのお野菜をちゃんと使って作ってらして、義母さんへもパパンさんへも想いが感じられる、とっても素敵な御霊供養ですね。
ノルウェーまだ~む
>
ありがとうございます‼️
この信心深い地域においてこんなこと言うと何ですが、忌中に神社に行ってはいけないとか、四十九日まできちんと供膳を供えないと成仏出来ないとかは、基本信じてないと私なんです。
葬儀も法要も遺族の為にあると思うので、父親も兄もそして遂に母も亡くしたパパンが気の済むようにやってあげるのが私の務めと思ってます。
まあ、こんな近所が親戚だらけでなかったら、そもそもここまでやってなかったですが…(笑
隆
田舎暮らしで、こういった形の無い風習を守って行く事は、よそ者からすると、真新しい事に思えますね。餅の話は、歴史好きとしては面白いです。古い話から、今に活かせるものは、ちから餅を食べて、元気に仲良く暮らして行く事でしょうか。
サムライの時代には、地元でみんなが同じ事をやって楽しいとか、和を慈しんでいたのでしょうね。餅を食べられると、今の子供は喜ぶか微妙ですけど、想い出にはなって行くのでしょうね。お墓参りよりも、こういう風習をやっている家族の方が気になりそうです(笑)
ノルウェーまだ~む
>
気になって頂けてありがとうございます。
伝承的な風習が今もなお残っている、しかも物凄く山奥でもない県庁所在地の松山市で…と言うのも不思議なんですよね。
サムライの時代は和を慈しむ余裕は無かったと思いますよ。現実として、刀で無惨にも切られて死んでいった兵士たちを弔う行事であったと思われます。
隆
サムライも、戦が本業だと思いますが、地侍とか野武士とか色々居たので、日本の統一を目指した戦国大名ばかりでは無かったです。農業とか、運送業だったり、ボディガードとか、経済に関する地域の生業での副業もしたりして居ますよ。本願寺の子分根来衆のように、大名に大々的に対抗する勢力もあって、秀吉が北条氏を下し、伊達政宗を従えて、統一が観えた頃には、統一に抵抗する大きな一揆も起きて居ます。
しかし、仰るように、サムライは競争下にあったので、家に所属すれば、厳しい上下関係とか、縦社会に順応にする事を要された、と思います。何分、戦に対する抵抗力があったので、サムライと農民との違いが余り無かったのですよね。
ノルウェーまだ~む
>
再びありがとうございます。
確かに昔は農民と武士が近かったみたいですね。
いずれにしても、この武士の風習が何故瀬戸内の愛媛にだけ残っていたのか、知っている人がいたら聞いてみたいです。
民間伝承だけに文献が残ってないので、その点でも謎が深まるばかりです(笑
ごみつ
みんまとは巳午と書くのですね。
読ませていただくとこれは珍しい風習ですね。
戦国時代からはじまっているとの事、お餅のくだりはわりと荒々しい感じがするのはそのせいなのでしょうね。
見るのも聞くのもはじめての行事、大変だったと思います。
ネット検索でもあまり出てこないとなると、まだ~むさんの今回の記事も貴重な記録になりますね。
前にお尋ねのあったうちの宗派ですが、浄土真宗です。祖母の時は杖とわらじはお棺の中に一緒に入れましたが、父親の時は全く入れなかったので、こういう風習もちょっとづつ簡略化されていくのでしょうね。
ノルウェーまだ~む
>
ご興味を持って下さってありがとうございます❗
昔は巳の日の午の刻にやっていたらしいですが、午の刻が夜になることもあって、今では12月にある巳の日(チャンスは3回)やればいいみたいです。
浄土真宗は唯一御霊供膳をやらない宗派みたいですね。(羨ましい〰️)
鏡餅は神様が宿るということで、お正月にお供えすると今朝テレビでやってました。
この仏様の行事でありながら、仏教の教えでも何でもない風習が、何故か愛媛にだけ有るって本当に不思議てすよね〰️
ここなつ
「みんま」お疲れ様でした。
戦国時代や秀吉の時代の伝説に彩られた貴重な風習ですね。
こういう文化の伝承って、…まだ~むさんのような方が受け継いでいらっしやるのかと思うと感慨深いです。
ひとまず落ち着かれましたでしょうか?
東京ではまたぞろコロナ感染者が2万人迫る勢い。ご自愛くださいね。
ノルウェーまだ~む
>
お気遣いありがとうございます。
貴重な異文化体験ができて、私自身とても感慨深かったです。
四十九日とみんまが近すぎて、ちょっと不謹慎にも感じるけど、「みんま」は仏様にとってもお祝いなので、私自身も楽しんで(?)行事を体験できました(笑
昨日東京戻りましたが、もう人が多くて付いていけない・・・
早速羽田から京急乗り間違えて、品川に行きたいのに気づいたら横浜に居るという大失態で、成田から帰るくらい時間かかっちゃいました(涙
セレンディピティ
長きにわたる、ご実家でのお働き、お疲れ様でした。
ご親戚のみなさまへのお心遣いなど、たいへんだったことと思います。
ゆっくりお体休めてくださいね。
みんまの習慣、興味深く拝見しました。
たまたま、四十九日の法要のすぐあとのみんまで
御霊供膳の拡大版、のようになりましたが
本来はそれぞれ別に行う儀式なのですね。
一足先にお正月を迎えられ、お義母さまを無事に送られましため。
(お留守番で残念でしたが)貴重な体験をされましたね。
貴重な記録をありがとうございました。
ノルウェーまだ~む
>
ありがとうございます!!田舎の嫁としては「当然」と言われて終わっちゃうのですが、こうして応援してくださる方がいて何とか乗り切ることができました~☆
本来この1年間に亡くなった方全員の親族がが、この巳の日にお正月をやるわけなのですが、12月最初の巳の日はうちだけでした(笑
これで来年一周忌までようやくお役御免と思ったらね、次はなんと!新彼岸なんですって・・・(滝泣