今回の旅のメインイベントは大三島の中央部分にある「大山祗神社」
日本総鎮守であるだけにパワースポットの宝庫でもある。
そしてなんとここの宝物殿はそのほとんどが国宝と重要文化財で、日本国中の国宝・重文の指定を受けた武具の8割が集まっているのだそう。
『鎌倉どの』の鎧(国宝)から義経の鎧(国宝)驚きの長さのある弁慶の薙刀・・・と特別なファンでなくてもヨダレが出るようなものばかり!!
「大山祗神社(おおやまづみ神社)」公式HP
伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の間に生まれた大山積大神(天照大神の兄神にあたる)をお祀りしている。
山の神であり海の神であり渡航の神でもあり農業の神でもある、日本の総氏神となっている。富士山の神でもある木花開耶姫命(このはなさくやひめ)と人間の寿命が決まったとされる浅間山の神 磐長姫命(いわながひめ)の父に当たる。
2010年に再建された総門は総ヒノキで、両側に立つ勇猛果敢な武者増は境内のヒノキで造られたものだそう。
赤い総門を入ると左側に日本最古の楠で天然記念物の「雨乞いの楠」(樹齢3000年)がある。約900年前に日照りが続いた折この樹に祈願したところ三日三晩雨が続いたのだそう。
左側にある十七神社には全国の神社の出張所が集まっていて、長屋のようになっている。
広場中央にはこちらも天然記念物 大山積大神を祭った乎知命(おちのみこと)がお手植えの巨大な「大楠」(樹齢2600年)がありご神木となっている。この根回り20mの大楠の周りを息を止めて3周回れたら願いが叶うというパワースポット。かなりの肺活量が必要なので、それができて願いが叶うのは映画アバターの俳優さんだけかも?
神門をくぐると美しく掃き清められた「本殿」がある。1322年に兵火に遭い、1378年に再建されたと伝わる重要文化財。
だんだんと晴れてきた!参拝客も少なく静寂がまた神聖な気持ちになる。
源頼朝をはじめとして歴代の武将たちが戦勝祈願にやってきて武具を奉納して行ったことから、戦いの神、勝負運、仕事運のパワースポットになっている。連合艦隊司令官山本五十六など軍人さんが参拝に訪れた記念の写真が飾られている。
本殿を左へ出ると3つの小さな神社が並んでいて、その奥に立派な門構えの家がある。な・なんと表札を見ると「三島」さん。これは大山祗神社を造り宮司となっていた小千命(おちのみこと)の子孫にあたる三島さんなのでは…?
本殿の真裏に当たる所に姫小邑(ひめこむら)神社
天照大御神の孫で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻となった木花開耶姫命を祭る神社。ににぎからお腹の子を疑われたことから、神の子を身ごもったことを証明する為、産屋に火を放ちながらも3人の子を無事出産したということから、諸願成就、安産祈願のパワースポットになっている。ににぎ酷い~
本殿を右へ出ると紫陽殿と国宝館がつながった宝物館と海事博物館がある。⇧写真は宝物館を背に本殿方向を眺めた所。全国の国宝・重文武具類の八割がここに集結している!!
中は勿論撮影禁止なので、パンフレットをパチリ。こちらが義経が源平合戦の時に大勝を収めた後奉納した現存唯一の「八艘飛びの鎧」
馬から落ちてもすぐに戦えるよう鎧の草摺(くさずり)の部分が8枚になっている。そして全部の鎧を見ても、ここまでエレガントに刺繍が施され、胸元の細かい細工までもが見事なものは他になく、源頼朝のものも勿論素晴らしいけどその比では無かった!!
その他、太刀や薙刀の数々に唐時代の禽獣葡萄鏡など、1つや2つの国宝を目玉に人集めをする東京の博物館では考えられない程国宝だらけ。重要文化財ですらない物が皆無で、見ているうちに感覚がオカシクなってくる。
日本のジャンヌダルクと言われた鶴姫が着用したとする現存唯一の女性の鎧も必見!(⇧こちらは宿に飾ってあった色紙)
鎧なのにちゃんとウエストがくびれていて、草摺も11枚と枚数が多くヒップの丸みに沿うように作られているが、シックな濃紺で男に負けないぞ!という気迫を感じる美しい鎧だった。
大三島には島のあちこちに鶴姫の像がある。こちらは大山祗神社の参道近くの鶴姫公園に設置されているもの。
戦国時代、戦死した恋人・越智安成(おち やすなり)に代わって大三島を守った鶴姫は、恋人の死を悼んで自ら命を絶ったという、鶴姫伝説になぞらえて、川の向こうに恋人がいる。
宝物殿を出て真っ直ぐ大山祗神社の裏道を行き、小さな橋を渡って細い路地を右へ行く。
嘘でしょう?な趣のある道を行き、みかん畑に沿って歩くと越智玉澄腰懸石
ここを曲がると最強パワースポット生樹の御門がある!
天然記念物で、大山祗神社の奥の院へ行くためにここを通る。樹齢3000年の天然記念物の真ん中を通過できる事自体凄いよね?
この圧倒的なパワーに比べ、奥の院は大変小さく簡素(笑
二重線で消さずちゃんと書き直した方が良いのでは?
生樹の御門をくぐる私。
とにかく圧倒的なパワースポットが随所にあって、この日は神社と宝物殿ですっかり一日が終わってしまうくらい。なのに平日とはいえ宝物殿も貸し切り状態で、NHK大河「鎌倉どの」の最終回もまだだったのに、こんなに空いているなんて!!!
愛媛県のPR下手に何故だかほっこりしてしまうのだった。
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この記事へのコメント
ごみつ
大山祗神社、素晴らしい神社ですね。
何だか、本当に色々と歴史の重みが凄いですね。
樹齢3000年の雨ごいの楠は、これは雷が落ちた事があったりしたんでしょうか?それとも3000年のうちにこんな形になっていったのかな。とにかく存在感が凄いです。
宝物館はこれまた収蔵品が凄いんですね!義経の鎧はレプリカが、NHKの「歴史探偵団」に出てて、義経がかなり小柄だったっていう話をしてました。
っていうか、頼朝と義経の鎧が見れるだけで貴重すぎる!
鶴姫伝説ははじめて知りました。歴史的な場所は、色々と勉強にもなりますね~。
ノルウェーまだ~む
>
良かった~♬ 古い歴史お好きなごみつさんならご興味持ってもらえると思ってました!
雨乞いの楠は文章長くなるので書かなかったのだけど、実は兵火にあったそうで、多分本殿が焼かれたときに一緒に燃やされたのだと思います。それでもこうして生き延びてるって、自然の力の逞しさに感心するばかりですよね?
義経の鎧、本当に優美でしゅっとしてて美しかったですよ~
カタログの写真は全くそれが伝わらないので、絶対本物を見て欲しいです!あと鎧の銅の部分がぐるりとロールケーキのようになっているのを実物を見て初めて知りました!映画とかで出てくるのって、剣道の時の胴着みたいに前後で挟むでしょう?あれだと隙間からグサリとやられるので実際は繋ぎ目がないんですね。これも実物見ないと気が付かなかった事でした。
隆
勝って兜の緒を締める、とか、兜を脱ぐと言いますけど、鎧を納めた事から、勝ち戦も、もう戦の無い世が来たと思ったのかも知れませんね。まさか、兄弟である頼朝との争いがあるとは思って居なかったはず。でも、鎧を納めて良かった。
鎌倉殿の13人のような、若い義経には難しい身内の戦があって、そう考えると、政略的な新しい物語だったかも知れません。あと、ああいう戦は「長生き」する人が強いのですよね😅神社通いは、長寿の秘訣かも知れませんね🍃
ノルウェーまだ~む
>
もう戦いが無いと考えて鎧を収めたとは考えにくいですが、戦勝祈願で先に鎧を奉納している人も居て、戦いの前に良いのかしら?と疑問に思いながら鑑賞してました。でも戦いの前に祈願に来て、勝ってからお礼参りに鎧を奉納したとも考えられますね。
その後の運命は色々で、歴史の厳しさを想わずにはいられません。
一つだけ確かなのは、多くの美術館や博物館が高額で美術品を購入したりレンタルして所蔵せざるを得ないのに、ここは美術品のほうが向こうからやって来るというのだから、それだけでも凄い事だなって思いました。